2019.01.18

 

一月も半分を過ぎ、月日の経つ速さに、心が追い付かない今日この頃です。

その間にも色々な出来事があり、あらためて「諸行無常」を感じております。

 

さて、暦の上では寒入り、もうすぐ大寒になりますが、公園の木々を見ますと蕾をつけており、

着々と準備をしていることに、本当に感心させられます。

 

寒さが厳しい時は、よく「じっと準備をする時」と言われます。

人生の中にも季節があり、北風が吹きつけるような、辛い時期もあるかと思います。

そういう時こそジタバタせずに、じっと自分の心と向き合う時なのではないかと思います。

 

そうするとハッとするような「知らなかった本当の自分」に出会ったり、

涙が出るほど「有り難い」と、恵まれている自分に気づけたりするのです。

 

本当にたくさんの力に支えられ、わがままな自分が生かされている。

少しでも恩返しをしたいと思う日々です。

 

 

2019.02.03

 

今日は節分ですね。

節分の「鬼」は自分の中にある「欲」であり「煩悩」です。

それが雪のごとく積もれば積もるほど、正しいものの見方・考え方・行い

が出来なくなってしまいます。

 

日々、心に浮かぶ感情を自分に問いてみることです。

 

もし、自分の苦しみが欲によるものだと気づき、

正しいものが見えたなら、それをグッと心に刻む。

 

それの繰り返しが幸せへの道なのです。

 

 

2019.03.06

 

春らしくなってきましたね。

ところどころに花を見つけることができて嬉しくなります。

 

苦に直面した時、とかく他人や今置かれている状況、条件などに目を向け

「こうしてくれたらいいのに」「こうじゃなければ幸せなのに」

と、言い訳をしたり、不満をもらしたりしてしまうものです。

 

しかし、本当にそうでしょうか。

困難な状況の中でも輝いている人もいれば、

恵まれた状況に居ても不平不満な日々を過ごしている人もいます。

 

答えはいつも自分のなかにあると仏さまは教えて下さっています。

自分が感じている苦は、自分の心のどこから来ているのか、

念じつつ、じっと見つめてみるのです。

 

念じるとは、「変えて下さい」とお願いすることではありません。

「どうしたら自分の見方、考え方が変われるでしょうか」

と仏さまを通して自分に問うことです。

 

そうしているうちに、ふと自分の未熟さや間違いに気づき、

今度は「ありがとうございます」という感謝の念が沸き上がります。

 

それを繰り返していくうちに智慧をいただき、感謝の出来る時間が増え、

苦難に満ちた人生を乗り越えていくことが出来るのです。

 

 

 

2019.04.11

 

少し遅くなってしまいました。

今年は桜を愛でることもなく、強風にさらわれてしまいました。

諸行無常ですね。

 

誰しも、人に認められることで自分の存在価値を見いだし、生きていく力となります。

しかし、他人の評価を気にし過ぎ、そのことに心をとらわれると、

それは欲の心。煩悩になり、自分自身を見失います。

 

お釈迦さまが亡くなるとき、弟子に最後に言い残したのは

「自らを灯とし 法を灯として生きていきなさい」

というお言葉でした。

仏教用語では「自灯明法灯明(じとうみょうほうとうみょう)」といいます。

 

周りに左右されることなく、法を頼りにしなさい。

そして自分の信念を持って生きなさいということです。

 

簡単なようで実に難しいことです。

誰も見ていなくてもゴミを拾う。そんなことからでも始められます。

日々の小さな積み重ねから、多少の事では動じない、そんな心をつくりたいと思います。

 

 

2019.05.09

 

 令和となり、何か新しいことがはじまる期待と、これからも戦争のない平和な国を願ってやみません。

 

 上皇上皇后様におきましては、ご意思がはっきりしている間に退くという、

とても大きな偉業を成し遂げられたと思います。さすが、大変な智慧者でいらっしゃると感じました。

 

 さて、どんな人間も生老病死を含む四苦八苦は必ず味わうことになります。

その苦を「どのように越えるか」「そこから学びを得ることが出来るか」で

その先が大きく変わっていきます。

 

 例えばもしその苦を「恨みや悲しみ」で終えるようでは「越えた」とは言えません。

どんな苦も「そこから学ばせてもらった。自分が変わることができた。感謝だ。」と思えたら

それが本当の苦の越え方です。

 

 これがなかなか難しい。恨みや妬み、悲しみは簡単に心に入ってきます。

その泥沼の中から、光を見つけ、自己を見つめていく作業はとても大変なことです。

泥沼に蓮の花とはこのことです。

 

 それは大きな宝となり、その後の人生を、より生きやすく、豊かにしてくれることでしょう。

 

 

 

2019.06.03

 

 今回の文章にあるような心は瞬間的に表れ、私たちの心を支配します。

それを言葉にしようがしまいが、行動に移そうが移すまいが、

その心はちょっとした表情や仕草に表れ、相手にも伝わるものですし、

決して安穏は訪れません。

その結果、思うような人生は送れず、仏さまは様々な試練という形で教えてくださいます。

そこから自分を見つめ、己の垢に気づき変わっていくのです。

 

しかしそれとは違う方法で気づき、精進しようと、垢を落とそう落とそうとする。

忘れよう忘れようとすると、かえってそのことに執着してまうということがあります。

なぜなら、忘れようとしている間も、ずっとそのことを考えているからです。

 

ではどうすればいいのか。

 

その感情が現れたら、まずは「ああ、自分にはこんな感情があるんだな」と受け入れることです。

そしてその感情が、仏さまの真理に沿っているのかよく考え、違っていたら

そっと自分の心に「これは間違った心の働きだな」と優しく語りかけることです。

そして、生活を整え、善行をつみながら、少しずつ垢が落ちていくのではないでしょうか。

 

 

 

2019.07.02

 

 いよいよ半年が過ぎ、今年は梅雨らしい日が続いていますね。

どんな酷暑が待っているのか、今から不安でございます。

 

 今回は解説がいらないほど、明解で大変わかりやすいのではないでしょうか。

ただ、「すべての人に仏性がある」と感じておられますか?

他人はもちろん、自分にも仏性を感じられない方も多いのではないでしょうか。

 

 仏性は様々な煩悩(物欲・金銭欲・人に良く思われたい等々)にまみれて

見えなくなっています。

 しかし、自己を見つめ、その感情は正しい心から出ているのか、

それとも欲の心から生まれているのか、よく見極めることです。

 

 それが煩悩を取り払った純粋な気持ちから出ているとすれば、それが仏性です。

自分のなかに仏性を見つけられると、相手の仏性が見えてきます。

「冷たい」と思っていた言葉の裏に、相手の思いやりが見えてくるかもしれません。

 

 自分も他人も「仏性を持っているんだ」と信じる心が、日々を明るく照らしてくれます。

 

 

 

 

2019.08.01

 

「愛別離苦」・・・四苦の一つです。

愛する人との別れ。それは決して避けることはできません。

しかし、分かっていながら、非常な事と思い、肩を落とします。

最後のふれあいが後悔の無きよう、常に心掛けたいものです。

 

そして「諸行無常」です。

永遠に変わらないものは決してありません。

人も動物も自然も地球全体が、そして宇宙も、刻々と変化しています。

 

住職が往生されたことは、大宇宙からすれば、ほんの僅かな変化に過ぎないかもしれません。

しかしながら、その人の人生がどうであったかによって、僅かな事が色々な所で起こり、

縁は広がり、世界は大きく変わっていくのです。

 

永遠に変わらないものがあるとすれば、それは「真実のみ教え」ではないでしょうか

その法縁をいただいた河津住職に心より感謝申し上げます。

 

 

 

2019.09.06

 

 朝晩は秋の空気になりましたね。

 

 先日、住職の納骨が無事行われました。

住職もきっと安堵されていることと思います。

 

 浄土真宗の聖典にあります「三帰衣文」の前文には

「人身受け難し。今すでに受く。仏法聞き難し。今既に聞く。・・・・」

と書かれています。

 

 みなさん、人間として生きていることが当たり前になっていないでしょうか。

しかしお釈迦さまは人間としてこの世に生を受けることは稀有なことであると説いておいでです。

そしてこの教えに出あうことは更に稀有な事であるとおっしゃっています。

 

なぜ人として生きているのか。人として生きるとはどういうことなのか。

自分には何ができるのだろうか。どのように、あらゆる物事をとらえたらよいのか。

 

 お釈迦さまは迷い続ける私たちの為に、この世にお出ましになり、

その問い全てにお答えをて下さっています。

 

一人でも多くの方が仏縁に触れ、仏の智慧を得ることができるよう念じ、

これからも活動して参りたいと思います。

 

 

 

 

2019.10.27

 

 「人の不幸は蜜の味」とはよく言ったものです。

他人の不幸を見て自分の幸せと比べたり、他の人に言いふらしたり。

小学生の話かと思いきや、いえいえ大人も同じです。

 

 誰しもが、大なり小なり失敗をしながら生きています。

私も失敗を数えたら、指が何本あっても足りません。

ふと誰かの失敗に気づいたら、そっと寄り添い、先ずは相手に共感し、

「大丈夫よ」と優しく励ます事です。

 

そこに少しでも、勇気や安心を感じてもらえたら嬉しいですね。

 

 

 

 

2019.11.04

 

7月頃、冗談めかしに「もう年賀状の準備でも・・・」

などと話していましたが、本当にやっても良かったくらい、月日がどんどん過ぎていきますね。

そして朝晩は急に冷え込んでまいりました。皆さまお体の調子はいかがでしょうか。

 

さて、日々困りごと、嫌な事が波のように絶えず押し寄せてきます。

無い人は仏様です。悟りの境地にいる方ですね。

 

しかし、心に来た波をどうするかで後の生き方が変わっていきます。

もし逃げたら。その人はきっとまた同じような波に苦しむことでしょう。

もし怒りをぶつけたら。その波は更に大きなものとなって、時として飲み込まれてしまうかも知れません。

 

苦難の乗り越え方は、物事によって様々ですが、共通して言える事は

「明らかにする」ということです。

目をそらさず、その苦の正体をしっかりと見極め、

例えば「悪く思われたくない」さらには「悪く思われているのでは・・・」

などという、幻想や噂を信じていることもあります。

「本当にそうなのか」「本当はどうなのか」

「自分はどうすることが他の人にとっても、自分にとってもより良い結果を生み出すのか」

 

そうのように、苦をしっかりと見つめることです。

それを繰り返していると、以前は苦だった波も、難なく通り過ぎていけるようになる。

それが仏の智慧です。

 

 

2019.12.2

 

「もう12月ですね。」「今年も残すところあと僅か・・・」

などという言葉があちこちで使われるのを耳にするようになりましたね。

 

 さて、今年を締めくくる言葉として、何を書こうか悩みましたが、

この一年。いえ、ここ何年か、いたるところで学んだのは

「和やかな顔で愛のある言葉」これを浄土真宗では「和顔愛語」と言われています。

この和顔愛語。浄土真宗のかなめである「仏説無量寿経」に説かれております。

お釈迦さまがこの世にお出ましになった2500年以上も前のことです。

どれほど、この「和顔愛語」に力があるのかがうかがい知れます。

 

簡単そうに聞こえますが、実に難しいことです。

たまに会う人には出来ますが、毎日顔を合わせる家族にはどうでしょうか。

外でお茶を出されれば「ありがとうございます。いただきます。」

と挨拶しても、家では

「おい、お茶!」・・・出されても無言。なんていうことはありませんか?

 

しかし、家庭での振る舞いがとても大切です。

そこは安堵する場所であり、互いにいたわり合い、励まし合い、幸せに生きていく中心となる。

そんな場所であるのが本来の姿です。

 

そうすると自然に、心にゆとりが生まれ、和やかな顔になります。

そうすると人が寄ってきます。和が広がります。

そういう人でありたいですね。