2018.01.01

 

 新しい年が始まりました。

今年も阿弥陀さまの光の中で、皆様が安らかな日々が送れますよう念じてやみません。

 

 昨年は「これが人間のなせることなのか」と思うような事件がたくさんあったように思います。

とてつもなく強い「欲」は、人をどこまでも変えてしまう。恐ろしい事です。

 

 しかし、その方向を変え、自分の心をよくよく見て、仏の教えに照らし合わせていたら、

人はどこまでも変わることができる。ということでもあるのです。

 

 「朝ドラ」のように、笑いは人を幸せにする力がある。

幸せになりたい人は、楽しくなくても口角を上げて生活するといいそうです。

そうすると自然と楽しくなるそうですよ。(私も時々やってみてます)

男性も「笑顔つくれば五割り増し」でしょう。

 

 今年も更に一人でも多くの方に仏縁に触れて頂けるよう、精進して参りたいと思います。

何卒よろしくお願い致します。

 

 

2018.01.15

 

 月日が経つのがなんと早いことか。

1月も、もう半ばですね。

 

日に日に日没は遅くなって参りましたが、寒さの本番はこれからですね。

20日は大寒です。

そんな中、美しく花を咲かせる福寿草。

どんどん芽を膨らませる桜。

その時その時に私たちを楽しませてくれる。自然は不思議がいっぱいです。

 

皆さんはどうでしょうか。

私は日頃心がけているつもりでも、ついつい一瞬沸き上がってくる心は

「やってあげたのに」です。

良かれと思ってしたことでも、相手が求めているものと一致するとは限りません。

頼まれてもいないのに「やってあげた」なんて、逆の立場になったら迷惑・・・なんてことも。

 

喜んでもらえたら、それはよかったと思うくらいの気持ちでいたいですね。

例えば、ご近所のまわりを掃除するのは、自分が通った時に気持ちがいいから。

させてもらった後は清々しいものです。

 

こうして生きているのも、見えない所でたくさんの人の働きがあるからです。

見えないものにも感謝感謝。ですね。

 

 

 

2018.02.20

 

「自分の事は自分が一番よく知っている」

なんて言葉もありますが、果たしてそうでしょうか?

 

意外と人は、自分の事より他人のことをよく見ているのではないでしょうか。

「あの人はこんな人だ」「あの人だったら、きっとそう思うに違いない」

「あの人はこんなことをしている」「あの人はこんなことを言っていた」

などと、自分の事はさておき、他人の事ばかりに気をとられてはいないでしょうか。

 

では、肝心の自分はどんな人間で、どんな心の癖を持っていて

、日々どんな心がけで生きているのでしょう。

どれほど自分は善人なのでしょう。

聞かれたら恥ずかしい気持ちで一杯です。

 

誰もかれもが完全ではありません。

そしてみんなに個性があります。

だからこの世は成り立っているのす。

 

誰かに何かを言われたら、本当にそうなのかも知れません。

自分を見つめ、反省するチャンスになります。

そうして己の心を磨いていきたいものです。

 

2018.03.15

 

 お釈迦さまのお生まれになった4月8日は「降誕会(こうたんえ)」と言って

甘茶をお釈迦さまの像にかけます。

お生まれになった時に甘い雨(甘露)が降ったそうです。

 

 さて、今月の掲示板です。

所々で桜の開花がみられるようになりましたね。

降誕会のころは桜の花も舞い散る美しい日になりそうです。

 

 植物は誰に言われなくとも、寒い冬を耐え、暖かくなる前に蕾を用意して、

私たちが「暖かくなってきたな」と思う頃には花をみせてくれます。

そんな姿に学ばせて頂きますね。

 

 私達はどうしても「誰も見ていないから」「何も言われないから」

と、すぐに怠けたり、ずるをしたりします。

そんな一日を過ごした夜、「ああ今日もいい一日だった」と思えるでしょうか。

誰が見ていなくても、落ちているゴミがあれば拾ったり、近所のそうじをしたり。

誰に言われなくても、仏さまに手を合わせて、日々感謝申し上げる。

 

 特に在家である浄土真宗は、あるところでは「行がない」と言われるほど制限や決まりごとが少ないです。

朝晩のお勤めも、「やりなさい」と言われないことの方が多いでしょう。

布教も「布教師」という資格の持ったものが法話し、自由にご聴聞する。

作法もあるにはありますが、お家でなさることはあまりありません。

 

 だからこそ、尚更、己を正すのが難しいのです。

しかし、善いことをすると心がすっきりとします。

そこが大事なのです。

 

 

2018.05.10

 

 随分と遅くなってしまいました。

 

化粧と言えども男性も。

 

毎月書かせて頂いている文章ですが、

大切なことは、

相手の安穏な日々を願い、

相手の心を察し、思いやることが、

自分の心に還ってきて、

自分の心が安穏になる。

ということです。

 

 

2018.05.15

 

見事なボタンの花の絵を、近所の方にお借りしました。

 

書いたり言ったりするのは簡単ですが、

自己を変えるのは本当に難しいことです。

 

しかし、日々の心掛けで、ほんの少しずつ変わっていけるのです。

自分では気づかない、ほんのわずかな変化が

後に大きな変化をもたらします。

 

その変化にふと気付いた時、心の底から湧いてくる嬉しさ。

そして仏様への感謝でいっぱいになります。

 

 

2018.06.21

 

梅雨らしい日が続いていますね。

ジメジメとした気分になりそうですが、

この、しっとりとした感じを楽しむ余裕を持ちたいものです。

 

先日、お寺で日帰り旅行を計画し、足利へ行ってまいりました。

フラワーパークにも立ち寄りましたが、植物にはいつも色々と教えてもらいます。

一年の中で、いつ花を咲かせるかはそれぞれです。

ひっそりと咲いたり、パッと艶やかに咲いたり。

そして、どんな土で、どんな気温で育つのが最適なのかもそれぞれです。

それを人の一生と置き換えてみたりします。

 

 

さて、今回の文章。冒頭にありますのは浄土真宗の本からいただいたのですが、

金子みすゞさんの『こだまでしょうか』を思い出しました。

つい、周りに「影響されている」と、相手や環境に目を向けがちですが、

むしろ自分自身が周りに及ぼす影響に目を向けることが大切です。

そしてそれは、先ず家庭内からの実践です。

 

外でどんなに良い顔をしても、家に帰ってムスッとしていては意味がありません。

気を使わなくていい家族にこそ、挨拶や感謝、ねぎらいの言葉が大切です。

同じ顔を合わせる職場や、スーパーの店員さん、バスの運転手さんなど、

当たり前のように出会う人にも、損得なしに気持ちよく接したいものです。

本当の幸せはそこにあります。

 

 

 

2018.07.23

 

もはや異常気象は当たり前のようになりましたが、

その度に、今まで人間が快適なように、便利なようにと

地球の恵みをむさぼってきたツケがまわってきたんだなぁ、と思います。

 

借りた物は返すものですが、これから地球にどれだけ返せるのか、

果たして少しでも返すことが出来るのかと考えてしまいます。

 

 

さて、「お盆休み」と言えば8月ですが、お盆の法要は7月から始まっています。

皆さん先祖供養はどなたぐらいまでされていますでしょうか?

また、どのくらい遡ってご先祖様のことをご存知ですか?

由緒あるお家であれば「家系図」などあるのでしょうが、

ほとんどの方が、ひい祖父母くらいまでではないでしょうか。

 

しかし、「私」が誕生するまでには想像をはるかに超えたご先祖様がいらして、

その奇跡を紡いできたのです。

長い歴史の中で、戦争や災害、飢饉などをくぐり抜け、生きぬいた方々の結晶なのです。

 

記憶にあるご先祖様や親類だけでなく、ここまで命を繋いでくださった

全てのご先祖様に感謝の心をお伝えしましょう。

そして、そのお陰様で仏縁に触れられた事にも感謝せずにはいられません。

 

 

この度の豪雨のため、ご家族を亡くされた方々の浄土を念じつつ、

感謝の心で過ごさせて頂きたいと思います。

                          合掌

 

 

 

2018.08.24

 

最近は湿度が高く、紙もヨレヨレです。

身も心もヨレヨレにならないよう注意したいものです。

 

さて、三毒とは、よく鬼に例えられ、節分の折に心から追い出しましょうと言われます。

豆で追い払えたらどんなに楽かと思いますね。

この三毒をすべて追い払うことは、皆無と言っても過言ではないでしょう。

そのくらい、私たちの心に住み着き、渦巻いているのです。

 

しかし、これを知り、常に自分の心をみつめ内省することで、薄皮をはぐように

少しずつ、少しずつ変わっていくことができるのです。

その三毒の心が沸き上がった時、相手ではなく、自分を変えていくのが仏法です。

 

阿弥陀さまは全てをご覧になっています。

誰も見ていなくても、誰に評価されなくても、阿弥陀さまは全てご承知です。

そっと、落ちているゴミを拾うとき。そっと、誰かの靴を揃えるとき。

阿弥陀さまはすぐ近くで、にっこりとほほ笑んでいらっしゃることでしょう。

 

阿弥陀さまの願いのように、損得なく生きることを心がけると、

自分が、生きやすく、穏やかな心でいられるのです。

 

 

2018.09.28

 

「死」は生きているものには必ず訪れます。

生きているときには「死」がやってくることなど考えもしない。

「死」は縁起の悪いこと。災いのように考えられていました。

 

しかし昨今、その考えは変わりつつあります。

「終活」がその代表でしょうか。

自分が、いつか必ず来る「死」のために準備をする。

それまでに身の回りを整理し、「その時」が来たらどうしてほしいのか、

残す家族などに具体的に伝えます。

 

それと同時に、心を伝える事も大切です。

感謝の言葉。

謝罪の言葉。

愛の言葉。

色々あると思います。

 

そして自分の事だけでなく、今、目の前にいる大切な人が

「待ったなしに」往ってしまうかも知れません。

ですからいつでも、「ありがとう」「ごめんなさい」「大好き」

と心を伝えることは、とても大切なのです。

 

 

 

2018.10.16

 

すっかり秋めいて、陽も短くなってきましたね。

 

お寺では、今月の27日に「報恩講」といいまして、

浄土真宗では最も大切な行事がございます。

只今それに向けて準備をしているところです。

 

さて、浄土真宗本願寺派の「教義」に

『つねにわが身をふりかえり』

という一文があります。

 

「本当の自分」とは何でしょう。

嘘偽りなく、「本当の自分」を観ているでしょうか。

 

法に触れ、言い訳やごまかしを捨てられたとき、

ゾッとするほどおぞましい自分を見つけることがあります。

 

その繰り返しをしていくことで、自分の欲や怒りが取れ、

「本当の幸せ」が見えてくるのです。

そこには、ただただ穏やかな時間が流れます。

 

 

2018.11.20

 

先月無事に「報恩講」が行われました。

今年は最後の茶話会まで、たくさんの方々と良い時間を過ごさせて頂きました。

仏教の「三宝」の一つである「僧(仲間)」が集うことは、何よりの報恩かと思います。

 

さて、皆さん『表の顔』はお持ちですか?

かく言う私も『表の顔』は常に持ち歩いています。

 

お知り合いに会えばニッコリとほほ笑み、挨拶をかわし、

「元気ですよ~。幸せですよ~。」という顔をします。

しかし常に『本当の顔(心)』はそうではありません。

体調の悪い時もあれば、問題を抱えていた時もありましたし、

心配事も尽きません。

 

しかし、この仏法に出会い、仏さまの智慧のお陰様で、

随分と泳ぎやすくなり、表と裏の顔もだいぶ近くなってきたと感じております。

 

状況は変わらずとも、仏様の目から見た考え方(智慧)を教えて頂くと、

違った風景が見えてきます。

それが、2500年という年月を経ても、今なお仏教が求められる所以ではないでしょうか。